想い=重い

病気になった母との日々を中心に、心の中のモヤモヤを吐き出します。

2016年を迎えて

2016年1月現在、母は3度目の入院中です。2度目の入院で一度は鬱状態は消えましたが、躁状態な期間が数ヶ月続き、その後急激に鬱状態になり、再び入院することになったのです。今の時点でちょうど1カ月ほど入院しています。

母の病気は「非定型精神病」です。症状としては、統合失調症躁鬱病という感じで、発病は急性で予後は良いけれど、再発もしやすい病気だそうです。これは私自身が担当医と話して聞いたとかではなく、自分で調べて得た知識です。この病気になりやすい人の特徴に、母はあまりにもしっかり当てはまりますし、なるべくしてなってしまったんだろうなと思います。客観的に見ると、冷静に捉えて意見することも出来るかもしれません。しかし、一番近くにいる家族が病気になってしまった場合、あまりにも生々しいものです。
一人の人間なんです。
毎日毎日毎日、苦しくて苦しくて、辛くて辛くて、悔しくて、憎くて、、でも誰よりも愛していて、絶対に失いたくない存在で、、、
心の中ぐっちゃぐっちゃになりながら、それでも生きてゆくしかない、そんな日々を過ごしています。

病気になった母 ②発症

だいぶ日が開いてしまいましたが、前回の続きを書けるだけ書き留めようと思います。

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母の様子がおかしくなってきた6月頃、今思えば思い当たることが沢山ありました。
母と車に乗ると、私の運転にそれはそれは多くの文句を言ってくるようになりました。当時、私は今よりは運転に慣れてはいませんでしたが、あそこまで言われるほどのことではなかったと思います。具体的に言うと、カーブを曲がったらハンドルは回さずに自然に戻るのに任せる、ハンドルは回すな!信号で止まるときはこれくらいからブレーキを踏み始めろ!前の車にはこれくらい近づけ!などなど…とにかく異常に過剰だったのです。そしてヒステリーに騒ぎながら私を怒鳴りました。私の知っている母とは別人の様でした。それまでは絶対に気にしていなかったはずのことに過剰に反応するようになり、そしてそれは自分ではなく、周りの人間たちが自分を邪魔してくるという考えに至っていました。
6月21日、母は知り合いに頼まれた演奏に参加しました。その演奏のための準備こそが母を苦しめた大きな要因の一つだと思っています。詳しく書くことは控えますが、その演奏は母が中心人物ではないのにも関わらず、母がほぼ全ての負担を抱え込まざるを得ないようなことになっていました。私も手伝いましたが、チラシを作るにしても、演奏の合わせをするにしても、母は常にストレスを抱えていました。当日も母は一見普通に見えましたが、明らかにおかしくなりかけていました。自分が居ないときに携帯を見られたかもしれない→見たに違いない→あの人たちは自分を監視している!このような思考が働くようになりました。この演奏に関わりさえしなければ…と当時は後悔していましたが、関わっていなくとも母は病気になっていたのかもしれないし、今はどうにも分かりません。
とにかく、この頃から周りの人々は自分を監視するためにそこにいるのだと思い込んでいました。

そして、母の頭がおかしくなったと確信するようになった出来事が起こりました。

心配

両親が今月末に東京に行く。兄の彼女の両親に会うために。今までも話は出ていたが、母のこともありずっと先送りになっていた。向こうの両親はこっちに来てもいいとかどうとか話してたみたいだけど、兄ともほとんど話さないし、詳しいところは知らない。とにかく、結局うちが向こうまで出向くことになったらしい。
心配なのは母のこと。
行き帰りとも夜行バスのつもりらしいが、大丈夫なのだろうか。普段一日寝たきりの人が、慣れない都会へ行き、神経を使うことをし、ただでさえ負担の大きい夜行バスで寝るだなんて、大丈夫なのだろうか…
兄はどれくらい母のことを話しているのだろう。夏に彼女とこっちに来たときも、彼女に母のことは話していなかったようだった。そもそも兄は、母の一番酷かった時期のことは知らない。いくら電話で話したりしていようが、面と向かってあの惨状を経験していない。兄を恨みたい気持ちも大きい。母が病気になったのは兄が原因のひとつでもあるのに。
母がなぜあんなことになり、いまどんな状態なのか、もっとちゃんと知っていて欲しい。父に聞くばかりじゃなくて、私に聞いて欲しい。父は平日も早朝から出て行くし、休日も全く家に居ない。母と過ごしている時間なんて本当に少ないのだから。私が一番母のことを知ってるんだから。一番被害に遭ったのは私なのだから。

現在の母のこと

現在、母はほぼ寝たきり生活を送っています。
朝起きたら毎日同じ服(着る服が分からない、着る服が無いと言って)に着替え、洗濯物を干し、また寝る。お腹が空いたら食パンを焼きマーガリンを塗り牛乳と食べる。そしてまた寝る。何もやることが無いと、寝るか食べるか。常にお菓子を漁っています。少し前までは洗濯と簡単な料理くらいなら出来ていたのですが、ここ数日からそれも出来ないようになってきて、私が居る日は私が食事の準備をしています。そして、食べたらまた布団にもぐりに行く。掃除もほぼ出来ないので家中髪の毛やら畳んでいない洗濯物やら新聞紙やらゴミで溢れかえっています。私が出来る時は片付けたり掃除もするのですが、私自身、家に居ると母の影響を受けてか常に軽い鬱状態で体がなかなか動いてくれません。

正直、かなりしんどいです。このままだと母は、じきにまともに歩けなくなり、頭もぼけてきて認知症の老人になってしまうのではないか、ある日突然死んでしまうのではないかと毎日不安でいっぱいです。毎日毎日今にも死にそうな、生気の全くない顔の母と一緒にいると、私も母と同じようになってしまうと思ってしまいます。

一日中寝たきりなので、母の髪の毛は洗っても常にギトギトしていて、後頭部はぺったんこです。今日も髪を乾かしてあげようとすると、髪には気持ち悪いくらいにフケの白い点が沢山着いていました。

なんの話をしたいのか分からなくなってきた…
とりあえず今日はこの辺で。

追記
このブログはあまり表立っては言えないようなことやモヤモヤしたことを吐き出す場として作ってますので、一日中ここまで悩んでるわけではありません。それなりに楽しんでることもあったりするのでご心配なきよう。

病気になった母 ①予兆

今の私の最も大きな悩みの要因となっている母のことについて書きたいと思います。

昨年、母は精神病になりました。
母は演奏家として活動しながら、自宅と楽器店で音楽講師をしていました。私も音楽を専門に勉強し、昨年大学を卒業し実家へ戻り、講師の仕事をしています。
楽器店の発表会、依頼された演奏会を終え、自宅の教室の発表会を間近に控えた6月末、母の様子がおかしくなりました。

前兆はありました。6月になっていたでしょうか、母と一緒に買い物に行くと、「警備員さんがずっと張り付いて見張っていた」「店のお客さん皆がずっとお母さんのことを気にして見てくる」このようなことをよく言うようになりました。当時は「変な人が居るもんだ」とか「そんな目立つようなことをしていたっけ」と思っていましたが、日に日にその自意識過剰さは酷くなっていきました。そしてその矛先が私に向くようになっていきました。

続く

ブログ始めました。

はじめまして。


誰に向かって言ってるのか分からないけど。


日々の中で色々思うことが沢山あり、その思いのはけ口としてブログ始めてみようかなと思いました。

以前も少しブログはやっていたのですが、ここ数年はTwitterにどっぷりです。


色々書こうと思ったけど、あまりの語彙力の無さと文章の支離滅裂さに絶望したので、今日はこの辺で辞めておきます。漢字の使い方とか間違ってないか心配…


やっぱり日本語はちゃんと使えるようにならないとですね…

では。